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父親と少し和解?した気がする

俺は父親の事が嫌いで嫌いで仕方がない。
一々怒鳴るし、昔はよく殴られたし、ギャンブル好きだし、家の用事が忙しくても母親任せで寝てばかりだし、他にも言えば色々あるんだけど、とにかくもう嫌なわけよ。
特に、幼少期によく怒鳴って殴られてたのがでかいかな。
幼少期の印象って本当に影響が大きいんだよね。
今でも父親は恐怖の対象だし、恐らくそれに関連してるせいだと思うけど強面の男の人はどうも苦手だ。
実家に帰っても父親とはほとんど顔を合わせることなく、二言三言交わすだけで帰ることが多い。

そんな父親に俺から電話するに至った話を書こうと思う。

先日は父の母(俺から見て祖母)の葬式だった。
父親は少し厄介な病気を持っていて余命もそんなに長くないそうだ。
総式場で「ばあさんの方が俺よりも先に行ってくれてよかったわ」と言っていた。

帰りの車の中で兄と色々な話をした。
世間の離婚の話、コロナの話、俺がメンヘラに好かれる話、父親の話、人の器の話、筋肉の話、久々に会った従妹の話、兄が聞き上手すぎる話、人と人との相性の話…

父親の話。
父親からは正直言ってひどい仕打ちを受けてきた。
父親を憎んだ時期は長い。
父親は憎まれて当然のことをしたと考えていた。
自分の欠点を認識し、その原因が幼少期の教育にあると考える度に憎しみと絶望が湧いてきていた。
「違う教育を受けていればこの欠点は生まれていなかった」と憎み、「この欠点を根から絶つためには幼少期に受けた影響を何らかの方法で消さなければならない。そんなの無理ではないか」と絶望した。
だが、ある時期から父親が俺に対して行ってきた行動の背景を徐々に理解できるようになっていった。
父親の考え方を育ててきた環境やら父親が職場で受けたストレスやら、様々な要因が重なって俺が幼少期に受けた仕打ちにつながったと考えると、未熟な父親なりに精いっぱいやってきた結果なのだから仕方がなかったのだ。
だからもう恨んではいない。
だが、恨みは消えても恐怖の対象なのは昔から変わらない。

俺がメンヘラに好かれる話。
俺はどうも持論を展開したがるところがあり、1人で瞑想して考えて、「これは世の理ではないか?」と思ったことを聞き上手な誰かに聞いてもらうのがすごく好きだ。
逆に、大勢の仲間でワイワイやるのが苦手で、輪に入るのは小さいころから苦手だった。
今では、孤独な人を見つけると、過去の自分と重ねてしまい、つい手を差し伸べてしまうところがある。(結果メンヘラに好かれる)
過去の孤独な体験がその行動を作っていると考えると、孤独は辛いが決して悪いものではなかったと思える。
孤独は辛いが孤独の辛さを知る機会でもある。

人の器の話をした。
孤独を体験し孤独を知ると、孤独が原因となっている様々な行動を理解することが出来る。
平たく言うと、人の行動の理解できる範囲が広がる。
人を理解できると許せるようになる。
つまり、器が大きくなる。
父親から受けた仕打ちにも同じことが言えるはずだ。
辛い過去を持たない人よりも器を大きくするチャンスに恵まれている。
このチャンスを活かすには父親が死ぬ前でなくてはならない。
父親にもう恨んでないことを伝えよう。
できれば、心残りなく過ごせる余生が少しでも長いよう、早めに伝えなくてはならないと思った。
もし父親が過去の仕打ちを悔いていたとして、そのまま死んでしまったら、俺としても後味がすごく悪い。
父親に要らぬ罪の意識を被せてしまったという罪の意識が残り続けてしまう。

兄の家に一泊し、次の日に帰宅。
そのまま電話して「いつも避けているが恨んでいる訳じゃない」と伝えた。
まぁ、その後口論に発展するとは思ってなかったんだけど、いつもより怖くなかった。
わだかまりが幾らか溶けている気がした。

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