少し優しくなれるかもしれない話
こんなこと知ってても特に何も解決しない話ではありますが~
もしかしたら、ほんの少しだけ優しくなれるかもしれない話。
生きてたら争うことはありますね。
そりゃ色々あるでしょう。
価値観や思想の衝突は、争いの発端の中でも最たるものでしょうね。
人類最大の喧嘩である戦争は、思想の衝突から起こるものですし。
で、争う前に知っておいてほしいというか、思い出してほしい。
俺らは生まれも育ちも全然違う。
各々、違った環境の中でよりよく生きるように、違う価値観を育んできたということを。
例えば農家の家なら、「勉強なんか程々でいいから家を手伝え!」なんて言われはしなかったでしょうか?
ちょっと古いかな?
公務員に代表される、「ルールを守るのが大事」との価値観を持った親の元で育ったなら、厳格にルールを守ることを第一とする価値観が育まれるのかもしれない。
まぁ、そんなこんなで、人は環境に適応できるよう、その環境に必要な価値観を育てていくものだ。
どの価値観も必要があって育ててきたものなので、その価値観は否定することは出来ない。
一旦ここ押さえておいてください。後で出ますよー
で、俺らは各々が違う価値観を持っている訳なんだけども、一つになりたがる悲しい性を持っている。
詳しい理由は端折るけども、これは生存率の関係ね。
で、違う価値観を持ったもの同士が集まれば、価値観や思想の衝突が生まれるのは、よくあること。
その際、程度の問題というのもよくある。
「それはやり過ぎだろ」「ここまでなら別にいいだろ」って感じで境界を定めるための争い。
これ、定めることできます?
前述した通り、お互いの価値観はお互いにとって必要としてそれぞれ育んできたものだ。
どっちが正しいとか、間違ってるとか、そんなのあるの?
あるとするなら、「~~の場合は」とか「~~にとっては」などの前置きが必ず必要になってくる。
では、その前置きはどうやって確定させるのか?
これが確定できるなら話はつく。
だが、確定できないなら、話しても絶対に決着はつかない。
だってどちらの価値観も間違いなく必要だったわけで、否定できるものではないのだから。
それを無理に決定させようとすると、決まらないものを決めようとするわけだから、延々と争い続けることになる。
そしてこの前置きを確定させるというのは、育った環境を当て嵌めるということと、ほぼほぼイコールだとお分かりだろうか?
例えば、「漁師町で育った自分の価値観においては~」とかね。
こんなふうに前置きを言う人は居ないだろうけども、元をたどるとそういうことなの。
となると、前置きを確定させるのもかなり難しいことが分かるのではないだろうか?
だってそもそも価値観の違いで衝突しているんだから、「自分の価値観においては~」という前置きで話を進められる訳がないのですよ。
「その前置きが間違っている」と言われるのがオチ。
なので、「話が合わない人とはとことん合わない」的な言葉をどこかで聞いたことがあるかもしれないが、これは紛れもない真実だ。
話しても仲良くなれない人というのは存在する。
もし、本気で分かり合おうとしたら何年、何十年も必要になると思われる。
なので、「ここまでなら言っていいでしょ」「突っかかってきた相手が悪い」とか言ってるようじゃあ、未熟も未熟よ。
もしも争いが起こってしまったなら、「仲良くなれない、分かり合えない人はいる」ということを認めて、「ではお互い、最も制御しやすい行動の部分だけは強制しましょう。」と話し合いをするのが社会的にも、精神的にも健全だ。(価値観<思想<行動 の順で変えやすい)
敢えて言うが、この行動を強制させるのが社会での一般的な解決方法だ。
その話し合いすらできないような相手は、もうこちらに関わる気にならないように、全力を以って潰す以外にない。
以上、優しくなれる話でした。
余談までに、争わず付き合える人達ってのは、複数の価値観、言い方を変えると幅広い価値観を持っており、お互いにお互いのことを受け止められる関係です。
「それも確かに~」「それもあるね~」と。
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