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退職挨拶を考え中

そろそろ退職なのでなんか言うこと考えようと思い、フワッと決まった。
ここ2、3年で腹落ちした、人生でも特に大事だと思ってる考え方を話そう。
上手く喋れるように一回書いておくぞ。

まだ37年しか生きてない半熟者だけども、俺はこの考え方は本当に大事なことだと思っているので、折角だったら記事にしちゃえってことで今回の記事です。

大事に思っている事、結論から言うと「普段接している身近な人を大切にしようね」です。
なんかしょぼいというか、当たり前なこと言ってますね。
ただ、これが恐らく"人生"において非常に大事なことだと思ってますし、現段階では俺が一番大事にしている考え方です。

試しに、自分の今までの人生を振り返ってみてください。
「いい人生だったな」と思えますか?
もしそう思えるなら、あなたにとって間違いなくいい人生だったんでしょう。
あなたは何故自分の人生を「いい人生だった」と思えるのか?
具体的な事象は出てこないけど、なんとなく印象としてそう思うんですよね?
「なんか知らんけど、なんかよかった」そんなところじゃないかと思うんです。
その「なんか知らんけど、なんかよかった」には実はからくりがあって、「なんか知らんけど、なんかよかった」は他人が持ってきてくれるんです。
「あなたの為なら協力してあげようかな、手伝ってもいいかな」って思ってくれてる人が周りに居て、そのおかげで成り立っているんですね。

何か具体的な話をましょう。
例えば職場に行けば同僚が居るでしょう。
「おはよう」と言えば「おはよう」と返ってきます。
これって凄く幸運なことで、身近に気軽に声が掛けられる相手が居るってことなんですよね。
業務で分からないことがあったとしてください。
近くに気軽に声が掛けられる人が居たら相談できますよね?
相談できる相手が居るって分かってるだけで、安心できる。
つまり、側にいるだけで相手から安心感を受け取っているんですよね。

逆を想像した方が分かり易いかもですね。
「おはよう」と言っても返事が返ってこない人しか周りに居なかったらどうでしょう。
声を掛けるのがしんどいですよね。
分からないことがあっても聞きにくいです。
分からないことがあるたびに精神的なエネルギーを大量に消費して質問をしなければなりません。
そんなことを繰り返していると、分からない作業に直面することが恐怖になってきます。
今日の仕事内容に分からないことが出てこないだろうか?という心配で頭がいっぱいになります。
それはまるで、クレーム対応用の電話が自分のデスクに置かれていて、いつ鳴るのか、今度はどんなことで怒られるのか、という恐怖に怯える感覚に似たものかもしれません。想像ですがね。

こういう状況になっていないのは、あなたの周りに声を掛けられる人が居て、あなたに安心感を与えてくれているおかげなんですね。
実際、困った状況を助けてもらったこともあるでしょう。
まぁ、自分が助けることもあると思うので、持ちつ持たれつの関係だと思います。

こういう感じで、普段当たり前だと思っているから「なんか知らんけど」って思えてしまうけど、実は凄く助けられているんですね。
だから、「なんかよかった」っていう結果が生まれるんです。

なので、"人生"での大切なこととして、自分の人生を豊かにする上でもそうですが、恩を返すという意味でも「普段接している身近な人を大切にしようね」と思うのです。

 

さて、まだ続きます。
先ほどの話では「なんか知らんけど、なんかよかった」は他人が持ってきてくれると言いました。
さらに言うと、「なんか知らんけど、なんかよかった」と思えるのは、あなたを助けてくれる他人がいるおかげだとも言いました。
では、その助けてくれる他人というのは、あなたとはどういう関係なんでしょうか?
あなたが、その他人から見た時に「助けたくなるような人」であればいい訳ですが、どうすれば他人にそう思ってもらえるでしょう?

 仲良くなればいい?
 仲良くなるために面白い話をすればいい?
 失礼のない様に適切な言葉遣いで綺麗なコミュニケーションをとれるようになればいい?
 仕事のスキルを高めたり、見た目を整えたりして自身の能力値を上げればいい?

惜しいものもありますが、厳密に言うとどれも違います。
答えは「相手を信頼しよう」です。

分かり易いのはこういう時です。
何かを決める際に、あなたには「こうしたい」という強い気持ちがありました。
周りの人も皆同じように「俺はこうしたい」「私はああしたい」と別々のことを考えており、周りと意見が対立したとします。
その際、誰の意見を採用すると、あなたは最も納得がいって、満足できますか?
ほとんどの人にとって、採用したいのは自分の意見でしょう。
何故なら、あなたは他人の意見よりも、自分自身の意見、考えをよく理解しているからです。
よく理解している意見、考えだからこそ、納得がいくし、安心もできます。
なので、相手と意見が対立した際、世のほぼ全ての人は「自分の意見を通したい」と思っているはずです。
恐らく、このままでいくと、意見を譲れない者同士で、誰の意見を採用するべきなのか、熱い話し合いが始まることでしょう。
話し合いでは”聞く”こと、特に傾聴が大事と言われますが、この場面においてそれはありません。
自分に有利に働く言葉を探し出すための質問しか出ないでしょう。

もしこの時、相手への信頼を前提とした態度で接することが出来ると状況はまるで違うものになります。
「この人が言うんだからきっと何か理由があるんだろう。今の私は経験か何かが足りなくてその考えには行きついていないけども、この人が言うんだから悪い意見じゃないはずだ」
このように考えることが出来れば、その人に話を聞く際の聞き方も、「自分の意見を通すために有利な言葉を掘り出してやろう」なんて微塵も考えることがなくなり、「あなたのことが知りたいので、あなたの考えを教えてください。学ばせてください」という態度で話を聞くことが出来るようになります。
そんなコミュニケーション、気持ちいいですよね?
実際、お互いに滅茶苦茶気持ちいいです。
決めたいことも素早く決まりますしね。

では、こんな気持ちの良いコミュニケーションを取ってくれる相手なら、あなたはそばに居たいと思いませんか?
普通ならそばにいたいと思います。
結果として、相手への信頼をベースとして話すことが出来る人の周りには人が集まるのです。
そうやって、必然的にあなたの周りには協力者が大勢いる環境が出来上がり、「なんか知らんけど、なんかよかった」と思える人生を歩みやすくさせてもらえるのです。

ただしこれは簡単ではありません。
何故なら、先にも述べた通り、普通の人にとって最も信頼出来て安心感のある意見、考えは自分自身の意見、考えだからです。
それをあえて採用せず、自分と異なる考えを受け入れる。
それによって発生した責任をとる覚悟があなたにはあるでしょうか?
相手の考えを採用してとった行動の責任の100%を、あなたが背負う可能性もあります。
それでも良いという覚悟を持つ必要があります。
人を信頼するということは、つまり、人としての自分の器が試される瞬間でもあります。
しんどいですが、この器は少しずつ大きくするしかありません。
俺も修行中の身だけども、少しずつ意識的に他の人の意見や考えを大事に考えようと思ってます。
きっと、少しずつ器も大きくなります。

再度になりますが、上記の器の話を踏まえても、結論としてはやはり、「普段接している周りの人を大事にしましょう」になります。
単純な結論ですが、30数年生きてやっと気が付きました。
周りの人を大事に、「なんか知らんけど、なんかよかった」と思える人生を歩んでもらえればと思います。

おわり。

 

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「12/5追記」
う~ん、長い。
適当に端折らないとな。と思って喋ったら纏まりが悪くなりました(∩´∀`)∩
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余談。
こっから先は喋らないつもり。

  • 普段人に強く当たてしまう人、もしかしたら、「自分小物かも」と落ち込んじゃいました?
    そこは、落ち込まなくても大丈夫だと思います。
    どうでもいいものを曲げて相手に合わせるのは簡単だけども、そういうことではないので。
    人に強く当たってしまったこと自体は反省しなくちゃかもだけども、自身の考えを持ってること自体がまず立派だし、主張が強い時ほど器を広げるチャンスのように思います。
    これからですよ。これから。
  • 宗教は別に詳しくないけど、多分「隣人愛」ってこういうこと?
  • 松下幸之助は面接で「君は運がいいか?」と質問し、「運がいい」と答えた人を優先的に採用したそう。
    運が良いとは正に「なんか知らんけど、なんかよかった」のことで、それは器が大きくて人が集まってくる人ほど感じやすい感想です。
    つまり「運がいいか?」の質問で、おおよその、その人の器が見えるんですね。
    松下幸之助がそう考えて「運がいいか?」と質問したのかどうかは知らない。

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