実家に1週間
父の様子を見に1週間実家の岡山に帰ってました。
そこで感じた、あるいは考えたあれやこれのまとめ。
感じたままに書いて行くので、とりとめのない記事になると思います。
そうだなー
まず、帰りの新幹線の中で漠然と考えていたことから。
合理主義には限界があるな、と。
父は今闘病中なのだが、脾臓、肩腰の筋肉が常に痛く、また頻繁に吐き気、下痢、腹痛を訴えている。
「死にたい、楽に死にたい」と1週間のうちに3回聞いた。
合理主義に従えばご要望の通りに安楽死してもらって、介護の手間を省くのが良いんだろう。
母も楽になる。
その分、他の活動に精力的になれる。
が、そもそも何のために生きてるんだ?ってところに立ち返ると、そもそも生きるのに目的なんかないよね?と思う。
人生楽しんだ者勝ち。なんて言葉もあるが、これは真理のように思える。
恐らくだが、個々に生きるか死ぬかの基準となるものがあって、その基準を超えられない未来しか見えない時に死にたくなるんじゃなかろうか。
簡単に言うと、絶望した時に死にたくなるんじゃないだろうか。
実家から福岡に帰る際、ものすごく後ろ髪を引かれる想いがあった。
「病人や老人のことなど知らん。未来を担う若者こそが重要である。」と、合理主義に走れば、こんなに後ろ髪を引かれることもないだろう。
先の絶望の推測然り。
やはり、人は理屈で生きてるんじゃない。感情で生きてるんだと、強くそう思う。
理屈は感情を支えるための一要素でしかない。
父についてはたまーにブログでも記載してるけども、基本的に関わりたくない。
けど、不思議と介護(の補助)はそこまで嫌じゃなかった。
フロイトがエディプスコンプレックス云々を説いていたけども、生物として弱り切った父には脅威を感じないから嫌じゃなのか?
そんな気がする。
幼少期から正論を恐怖でねじ伏せられてきたので、父が恐怖の対象ってのは確かにあった。
まぁ、とはいえ今でも性格は相変わらずなので、扱いが面倒くさいよ。
あと、マジでどうでもいい事。
低周波の電気マッサージ機買いました。
キモティー_(:3 」∠)_
父が使ってたのを見てピーンと来て買ったんだが、間違いなかったな。
普段PC作業で首、肩、腰はよくこるので、買って良かった。
| 固定リンク
コメント