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コメントの批判はやめるんだ

フリゲを投稿するのってドキドキしますよね。
どんな反応が来るのだろうか、気になって気になって仕方がない。
何年も手塩にかけて育てた我が子だもの。当然です。
良い反応ばかりではなく、悪い反応もあります。辛いですよね?

でも、その時に、悪い反応のコメントやそのプレイヤーについて何か言うのはやめましょう。
今から話すのはそんなお話。
まぁ、理想論だから俺も出来ていない時あるどね。

世の中のもの事は何か理由があって発生しているはずで、批判的なコメントの発生も例外ではなく、凄く自然な流れで発生している。
まず、この流れ、構造を理解しましょう。
そうすれば本質が見えてきます。

批判的なコメントが発生する構造を話す前に、まず、感情とは何なのか?を説明。
負の感情に関して言うと、これは生きていくための警告機能です。
俺の記事では何度も紹介してるので説明の大部分は端折るけども、理解しやすいのは孤独感。
文明発達前の段階での話になりますが、一人の状態は死亡率が劇的に高まります。
そのため、孤独は危険な状態だと本能は認識しており、生存率を上げるために「一人では危ないですよ」とお知らせする機能を備えています。
この時に発生するのが、辛い、寂しい、といった感情です。
これを起点に様々な感情も関連づけて考えてもらえばおおよそ正しいかと思います。

次に、今回の鍵となる感情の"怒り"について押さえておきます。
これは軽く扱われた際に発生する感情です。
人は集団生活を営んで生存してきましたが、集団を維持する費用が足りない場合は、人数を間引く必要が出て来ます。
集団から追い出す人を決めねばなりません。
追い出される方はたまったものではないですよね。
死亡率が劇的に上がるので、追い出されるのは何とか避けたい。
なので、自分の存在が軽くないことをアピールする必要があります。
「お前出ていけ」に対して、「何を言う。俺はこんなにすごいんだぞ」と。
その際、アピールのために声を荒げたり、力を示すための暴力行動と紐づきやすいです。
平たく言うと、怒りの感情はどことなく攻撃的なイメージがあります。
感情についての話は以上。

次に、批判的なコメントは何故発生するのか?を考えます。
”批判的なコメント”と一括りしてしまいましたが、その中でもみんなが危惧しているのは攻撃的な内容のコメントだと思います。
断定はできませんが、そのコメントには少なからず怒りが含まれているように感じないでしょうか?
なので、先に怒りの話をしておきました。
今回の話はコメントに怒りを感じるものと考えて読んでください。
先ほど言った通り、怒りは軽く扱われた際に発生する感情です。
「作者はプレイヤーのことをどこかで軽く扱ったのか?」を考えてみましょう。
参考としてこちらをご覧ください。
私の処女作「zillion」です。批判いっぱい来てます。
よろしければ次作の「戦いの物語」もご覧ください。批判いっぱい来てます。
別にプレイヤーのことを軽く考えながら作ったわけではありません。
結論を先に言うと、プレイヤーに配慮するための技術力や精神力を持っていなかったため、プレイヤーを軽んじる結果になりました。
その為、軽んじられたプレイヤーがコメントに怒りの感情を含ませているのです。
例えば、このzillion、まだあと一週間デバッグを頑張って調整出来たかもしれない。けど、自分の精神力ではもう限界だった。なので、「ここまででいいか」と自分に甘い判断をして公開してしまった。
もちろん、デバッグを途中で投げたツケはプレイヤーの負担になる訳で、いうなればそれはプレイヤーのゲーム体験を軽んじた行動な訳です。
で、プレイヤーに怒りが発生し、場合によってはコメント欄に攻撃的なコメントが来る。…と。
そんな構造になっています。
批判的なコメントが発生する構造は以上です。

構造が理解出来たら、批判的なコメントは至極当然な理由で発生していることも理解できると思います。
軽んじられたら怒りが発生する
起こっている物事の本質はたったこれだけのことです。
なので、自分が作者ならプレイヤーを軽んじなければいいのです。
もう少し言うと、「俺のプレイ体験を軽く見られた」とプレイヤーに感じさせないように配慮して作成すればいいのです。
端的に言うなら「デバッグ頑張ってください」「技術を磨いてください」です。
何でも良いんですが、「~~を作って」と無償で依頼したら、超適当に作ったガラクタを渡されたとします。イラっとしますよね?
デバッグの際に相手の立場を考慮してください。
被災して苦しい時に千羽鶴が送られてきたら「こっちの状況を考えてなくないか?」って正直腹立つと思うんですよね。
お金を受け取っているか否かではなく、送る側の気持ちでもなく、怒りは受け取った側が軽んじられたと感じたか否かによって発生します
そして、軽んじられたら怒りが発生するのは人間の基本的な性質で、これを止めることは出来ないので、「批判をやめろ」「批判するのはおかしい」などと言っていても仕方ありません。
批判は実力を持っていない作者の現状に対しての自然な反応なので甘んじて受け入れてください。
「もっと頑張れる箇所はなかったのか?」と己を顧み、相手に怒りを持たせた原因がどこかにないか、相手の立場になって考えて謙虚に受け止めてください。
相手がよほど特殊な価値観を持ってプレイしているのであれば話は別ですが、大抵のプレイヤーの感じる怒りは至極全うで、それを批判することは基本的に誤りと考えて良いです。
何故ならプレイしてもらうターゲットが彼らだからです。
(※上記は批判自体に関してで、批判内容の正否についてではありません)

ただし、例外として認知不協和から来る批判はそのまま受け取らなくていいと思います。
認知不協和とは思考と実際とが異なる状況のことで、例えば、自分はイマイチだと思ったけど周りは高評価しているとかですね。
その際に湧いてくる怒りは、これは作者がプレイヤーを軽んじているのでなく、別のプレイヤーがそのプレイヤーの意見を軽んじている為に発生していると解釈できます。
なので、作者はその批判を正面から受け取る必要はありません。
こういうのは、ゲームに対する批判部分だけ受け止めて、温度感とか言い回しとかは真に受けない方が良いやつです。
見分け方は感覚ですがね。

また、コメントを書く側の視点も考えておきたいですね。
作者の努力不足、実力不足でプレイヤーに怒りを抱かせたとして、ではプレイヤーは怒りのままに攻撃的なコメントを書いていいのでしょうか?
それに対しては社会的な意味合いから過剰なものはNOだと考えてますが、プレイヤーの感じる怒りは至極まっとうなものなので、表現方法さえ間違えなければ、隠さず書いて良いはずです。
殴られたら殴り返す、浮気されたら浮気し返す、というのはダメですが、法で裁くのはOKです。
社会もそうやって動いていて、方法を間違えなければ怒りは表に出していいし、むしろ出すべきものです。
どこまでが正しいやり方なのか?というのはまた一議論ありそうですが、ゲームに関しても、事実ベースでの所感を淡々と書き連ねることくらいは問題ないと思います。
ただし、表に出して問題ないのはまっとうな怒りの場合ですよ。
「自分の考えが軽んじられた」と怒りを表したとしても、自分の考えがおかしいなら原因は不勉強にあるので、「あなたが間違ってます。勉強してください」と批判し返されます。
少し上の方で軽く触れましたが、プレイヤーが感じた怒りは基本的に正しいです。
なので、「言い方が悪い」などと怒りの表現方法を問うことはあっても、「批判するのはおかしい」などと批判そのものを批判してはいけません。
「コメントの批判はやめるんだ」

以上、おしまい。

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