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誰かに刺さればいい?

馬鹿言うでねえ!
フリゲ界隈ではよく聞く言葉「誰かに刺さればいい」。
馬鹿言うでねえ!
"誰かに"じゃないでしょうよ。もっと万人にぶっ刺せよ!

 

俺ね、この「誰かに刺さればいい」とか「個性を尖らせた方がいい」とかいうの大っ嫌いなのよ。
いつもの如く理由、書いて行きましょう。

まず、「誰かに刺さればいい」についてから。
嫌う理由の結論を言うと、この言葉は多分に嘘を含んでいるからだ。
100%とは言わないけどかなり多くが嘘成分だ。
何が嘘かっていうと、個性や自分の好きって感情は突き詰めると人間の根源的な欲に結び付く。
なので、自分の"好き"や"個性"を深く考察すると、一部に突き刺さるのではない。逆だ。
突き詰めれば突き詰めるほど多くの人に刺さる。

例えば俺の話だが、俺はFF5やジルオールが好きだ。
こう…育成や編成で自分の意思を反映できるのが好きなんだ。
何でかって言うと、ゲームにはゲーム世界での体験を求めていて、現実世界で抑え込んでいたものを発散させたいんだ。
現実世界の方で「失敗したなぁ。あの時、あの知識を持っている状態だったらどうなってたのかな。もっと成功してたのかな」そんな思いが潜在意識にある。
その証拠に、黒歴史を思い出して悶絶することがたまにある。
だから、ゲームの世界で育成の方針や編成が決められるのが好きなんだと、自分自身のことをそう理解している。
なのでFF5が好きだがジョブシステムは必須ではないし、ジルオールが好きだがソウルシステムも必須ではない。
育成方針や編成方針に自分の意思が反映できるなら何でもいいんだ。
ゲームには人生やり直しの疑似体験をさせてもらって「ほら、やっぱりこうすれば上手く行くじゃん。俺の考えで育てたキャラやPTが一番強い」って、有能感を刺激してくれるなら手段は何でもいいんだ。

もしこれが「FF5おもしれ~」で自分の"好き"という気持ちへの理解が止まっていたらジョブシステムは必須になる。
FF5はジョブシステムがあって完成しているゲームなので、FF5のようなゲームを作りたいなら、ジョブシステム以外に選択肢はない。
なので、「ジョブシステム面白くないです。このゲームには合ってないです」といった批判、指摘コメントが来ても修正や仕様変更はできなくなる。
選択肢がない故に変えられないものを「自分はこれが"好き"だから変えられない」「ジョブシステムは"こだわり"なので変えられない」とかいっちゃってる。
違うだろ!君が気付いてないだけ!浅いの!
何故FF5のジョブシステムが好きなのか、その深堀が足りてないの。

だからね、「誰かに刺さればいい」とかいう言葉は嫌いなんだよ。
「浅いままで良い」って言ってるのと同じだからね!
この記事を読まれている奇特な読者さんはこういう甘い言葉を鵜呑みにしてはダメだよ!

冒頭で嘘100%じゃないと書いたけど、嘘じゃない部分…というか、許容できる部分はどこかと言うと、励ましとしてこれらの言葉を使用していると解釈できる部分だね。
「投稿しても誰からも反応がなかったらどうしよう」「投稿してボロクソに批判されたらどうしよう」そんな恐怖を軽くするために使ってると解釈できる。
そこはぎりぎり許容できる。
でもね、ぎりぎりよ。
ホントは、それでもやっぱ違うよなって思うんだよな。
「ボロクソに言われても良いや」「自己満足でいいや」そんな風に考えてたらハナッから「~~たら、どうしよう」なんて恐怖が湧かないでしょ。
「みんなに楽しんで欲しい」って想いがあるから、そうならなかった場合が怖いんでしょ。
あるいは「これは面白い」「面白いものを作る力が俺にはある」っていうイメージが現実によって壊されるのが怖いんでしょ。
じゃあ、「"誰かに"刺さるから大丈夫だよ」じゃねえでしょ!
"誰かに"じゃあ気休めなんだわ!
でも、万人受けする実力もないんだったらもう仕方ないじゃないか。
「もし反応が良くなかったら今回は勉強だと思って次頑張れ」これしかねえでしょ!
自分の気持ちと現実をちゃんと受け止めなさいね。
やっすい気休めばっかり受け取ってたら成長の停滞っていう形でその代償を受け取ることになるよ。

…ふぅ。書いた書いた。スッキリ

 

次に「個性を尖らせた方がいい」について。
これを嫌う理由の結論は、9割方が低い次元の話になるから。

ゲームに限った話ではないんだけど、物事の認識って自己理解→他者理解→バランス調整(再び自己理解)の順番で進んでいく。
例えば、殴られたら「何するんだ○すぞ!」と怒りが沸いたり、「やめてよぉ、しくしく」と悲しみが沸いたりする。
殴られたらどう感じるのかを経験として理解したら、他者が殴られたらその他者はどう感じるのかを自分の経験を物差しとして察してあげることができる。
「殴られたらムカつくよね」「殴られたの?辛いねぇ」といったふうに相手に共感を示すことが可能になる。
自己理解が相手を察する物差しになるので、自己理解→他者理解の順番は絶対だ。
順番を飛ばすことは出来ない。

ただ、相手も十人十色なので殴られた時の感じ方も人によって差異があって、自己理解で作った物差しだけでは相手を測り切れないことはよくあったりする。
他者が殴られたという現場を見たり、その他者と話して状況や考え方を聞いたりという経験を繰り返して、やがて殴られた他人への理解も深まっていく。

最後のバランス調整の段階では、「では、どの塩梅が一般的なのか?」自分も他人も納得できる最適解を探す作業になる。
他者理解に偏っていたのを、自己理解を補充してバランスを取る作業だ。
バランスを取る作業ということは物事の両端を把握しておかなければならない。
なので、自己理解と他者理解を把握してからでないとバランス調整の段階には移れず、他者理解→バランス調整(再び自己理解)の順番も絶対に変わることはない。

大事な部分なのでもう一度いうけど物事の認識は、自己理解→他者理解→バランス調整(再び自己理解)の順番で深まっていき、この順番が変わることはない。
一応補足。
上記の順で認識が深まると言ったが、思考は自己理解→他者理解→バランス調整(再び自己理解)をぐるぐると繰り返す。
まずは、何となく自己理解して何となくの物差しで他者理解に移るってのが普通。
ただ、何となくの物差しだと測るのに不都合があるので自己理解の精度UPは必要になるし、社会の中で暮らしている以上塩梅の調整は常に求められる。
そんな事情もあってみんな普段、自己理解→他者理解→バランス調整(再び自己理解)の順番で認識の調整を小刻みに繰り返しているのだが、これは「やっぱりこっちが正解かな?いや、あっちかな?」と思考がぐるぐる巡っているだけで、認識の深まりとは別。
認識の深まりとは選択することではなく知ることなのでね。

さて、それではですね前置きが長くなりましたがゲームの話に移りましょう。
ゲーム制作においての自己理解の部分って何でしょう!
察しのいい人は分かるよね。
そう、「個性」とか「こだわり」ってやつだね!
自己理解って最初の段階ですよ?
にも拘らず、「個性が大事」「もっと個性出して尖って行こう」とか言ってるの。
「自己理解の段階に留まりましょう!」って言ってるようなものよね。
いや、自己理解が不十分な人はまず自己理解を深めなきゃいけないのは間違いないんだけど、さも全員がそうであるかのように周りを巻き込むなっての!

ところで、この話の最初に「9割方が低い次元の話」と言ったね。
9割の低次元の話はさっき言った通り。
では、残りの1割は何かって言うと、最後のバランス調整の段階に入ってる人たちが言う「個性を出しましょう」っていう言葉だね。
これは逆に高次の話になるよ。
同じ言葉でも全然状況が違うんだ。面白いよね。
低次元の「個性出して行け」は「周りなんかどうでもいい、気にするな。もっと出してけ!」みたいに乱暴なんだよね。
高次元の「個性出して行け」は「周りへの配慮は押さえてある。周りはもう大丈夫だから心配せず好きに行け」なんだよね。
だから全然違うのよ。

因みに、高次の方が1割と言ったのは何故なの?低次が1割で高次が9割の可能性はないの?
そういった疑問もあるかもしれないので少し解説。
自己理解が進むと自分の"好き"が分かる。
好きなもの作ってる時は楽しいことも多く、ついつい作り込んでしまうので必然的に質が上がる。
他者理解が進むと他者の"好き"が分かる。
なら、単純に他者に喜ばれやすい作品に仕上がる。
じゃあ、自己理解と他者理解の両方が高いレベルまで把握できているなら、質も良くて他人への配慮も行き届いている訳で、そんなゲームが面白くないわけないよね?
面白いゲームを作る考え方が身についている状態なので、技術に問題がなければこの作者は安定的に面白い作品を生み出してくれる。
なら、そんな作者が有名にならないなんてことないよね?
「あの作品の人だー」ってなるよね。
なので、高次の「個性出して行け」を言う人は、安定的に良作を生み出していて有名な人、という特徴があるはずなんだ。
そんな人、あんま見かけないでしょ?
なので高次の方が少数派だと思うよ。1割って数字は適当だけどね。

 

というわけでですね「誰かに刺さればいい」とか「個性を尖らせた方がいい」とかが嫌いだという話をしました。
ほんとにね、この言葉を至る所で見るんだけど、色んな人が使い過ぎだろ。
こういった言葉が流行っている現状を俺は憂いているよ。

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